現在のタワーとアンテナ風景
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マナくんちの部屋へようこそ!このページでは、文章書きが大好きなマナくんの日常や思いを綴っています。脳性まひという障害を持ちながらも、前向きな姿勢で毎日を過ごすマナくんの世界をご紹介します。 ここでは、マナくんの暮らしの原稿や心温まるコラム、思い出のスナップ写真などを通じて、障害を持ちながらも希望を持って生きる姿勢を感じていただけます。また、介護職員やヘルパーの助けを借りながら、電動車いすでの散歩やパソコンを使ったホームページ作成など、マナくんの日々の活動についても触れています。 食べ物好きのマナくんは、特にラーメンやうどん、握り寿司といった料理に目がありません。長野県喬木村を拠点に、不自由さのないマイナス面をプラスに変える生き方を実践しています。文章を書くことを通じて、自身の経験や思いを多くの人と共有することで、読者の皆様に勇気や希望を与えることができれば幸いです。(AIによる紹介文)


 子ども本を読まないのに なぜ書けるの? 子ども

 2026年1月

午年となった1月半ば、久しぶりに村内郵便局を訪ねた。旧料金官製はがきを使い、10数枚の寒中見舞い状をポストに投函したため、送り戻されてくる。うっかりミスだからそのままにもしておけないし、昨年と今年用年賀はがきも普通はがきに交換しておきたかった。「お年玉当選番号がまだ決まっていませんが…」。窓口から気遣い言葉が聞こえる。手を横に振り否定してしまう。自分が若いころの時代なら数枚ではあっても、はがき交換を思い留まるかもしれない。「失礼ながら、本年限りにて年始のごあいさ午年つをご遠慮いたします」。あいさつ言葉はまちまちでも、いまでいう「年賀仕舞い(じまい・終活年賀状)」は花盛りだろう。私のところへも今回、親しかった数人より花盛り一文が書きつけられていた。これはまずいとする日本郵便側の思いは、郵便料金にかかわらず、もはや消されてしまうのか。どう考えても、時代には勝てそうにない。


差出人の思いを察しても、終活年賀状なんて寂しくはないか。そう感じさせない賀状が、かえって励みを与えてもらっている。私の賀状を手にしてから、コメントを添えてくれるケースも少なくない。今年一番心に残る賀状やりとりを、SNSの投稿内容から紹介をしていこう。「年賀状の件で書きます。元旦に自分のサイトメールフォームから、メッセージ1通が送られてきました。お隣の都市に住むOM(ベテラン無線局)さんからでした。『足腰が痛くなりましたが、どうにか暮らしています』。70代前半のOMさんですが、この私に自作タワー(タワーのみで地上高約10m)をプレゼントしてくれたことがありました。地方ではガラ空き状態だった50MHz(周波数帯)で、思う存分QSO(交信)を楽しむことができました。『一人暮らしとなり考えることが多くなりました。無線のアンテナは風が吹いても、いまのと馬ころは大丈夫ですが、自己判断で処分をしたいと思います』。こんな内容の返信をOMさんに送信しました。改めてここでも感謝をいたします。『外出が思うようにならなかった私は、無線を通じ、大勢な友だちとコンタクトができてとても幸せでした。OMさん、ありがとう』。—  感謝。(全文掲載)」。アマチュア無線愛好家グループ投稿ではあったが、評価をしてくれた方は90名を超える。正直な話、とてもうれしい反響であった。


アマチュア無線の存在、興味を抱きはじめたのは、小学校卒業後、養護学校中学部へ入学してからである。何かの拍子で高等部生の寄宿舎へお邪魔して、部屋に置いてあった小型無線機とハンドマイクが目に留まる。自動車内ではないが思い起こせる一光景は、タクシードライバーも同じだ。気分が大人の世界に入っていくような錯覚があり、次第に無線の分野へと関心を持っていく。物心がつくと、真空管式ラジオ・テレビのほかにトランジスタ式ラジオ、のちにはIC(集積半導体)型カラーテレビなどに触れる時代にいた。「目に見えない電波を使い、遠く離れた人と話ができる」。プラスアルファ古いテレビ受像機・ラジオ受信機の裏板をとり、その中の様子を見ることが好きで、資格を得るには必須の無線工学知識にどうにか入り込めた。初級ライセンスを取ろうと決意するが、途中でつ目標まずき無線の勉強も身に入らずのまま、高等部生となってときは進んでいく。寄宿舎生活を思い出すと、サポート役寮母さんの眼(まなこ)が常にこちらを向いており、いわば教育ママさんみたいでもあった。「自分の目標を立てましょう」。個々のロッカードア表面に貼られた色紙には、助言をもらった立派な目標がていねいな文字で書かれている。人の視線を介してのビジョンだからなお、意識が強くなっていった。それを相乗効果ともいえそうに思う。第4級(電話級)アマチュア無線技士になる元気つげ言葉「一度決めたことは最後までやり通す」を忘れない。


私は、国家試験の挑戦からライセンス取得となったが、ほかの方法も考えていた。関連団体主催で行われる講習会をきちんと受け、最後はテストに合格すれば同じ資格がもらえる。一方、自分一人では通えない身だから、テトス結果が足惑いとなりそうで不安があり。影響してか、代行策に民間通信教育にのめり込む。「『無線電話』って一体何だ。まだなかったはずの無線式電話機(コードレス・子機)を空想させ「そのことだったら、それは要らないよ」。クエスチョンマークを教材テキストのある個所につけた、笑い話もまたいいもの。「もう受かったのも同然だ」。最初のトライでライセンスをもぎ取ったと軽く考えたのは、中学部3年の秋である。同学年の一人は、翌春の普通高校受験に備え猛勉強をしているが、自分はどうだろうか。自信過剰な姿勢が否応なしに、不合格通知となって返ってきた。ありのままの自分を、そのとき透かして見ることができ試験たように思う。試験会場は、長野市のNHK長野放送局跡地近くの公共施設で毎回行われていた。「私たちも受かってほしいと願っています」。私を連れてきた両親と試験官は、ある意味で情けめいた一言を交わし合ったと聞く。まわりからの期待を感じながらも自信を持てずにいた。1度目のときとは正反対の自分に気がつくが、想定外の通知結果を見て思わず飛び上がってしまう。3度目の正直を味わった。いまからだと、50年前のできごとである。


高等部2年から意欲的に無線交信(QSO)をスタート。試験前より憧れの無線機6mバンド(周波数50MHz)・ハンディトランシーバーの購入が実現。思っていた以上に出ているローカル(近くの)局がおらず、しかも内蔵ホイップアンテナ(4分の1波長)では遠方局との送受信にネックがあった。だが、この周波数帯の特徴は、通常見通し距離内のほかに、電離層反射によって北海道や九州、沖縄とも交信が可能な点、山脈反射などで東京、大阪といった中間距離までも飛ぶ。その電波伝達にすっかり魅せられてしまい、近くに交信相手がいなくてもよいと決める。外部アンテナの設置を、無線機を購入した電器店へお願いしたところ、名古屋城瓦屋根に6素子八木アンテナが登場する。私の住む地域では山脈反射から、常での交信が2・3エリア(愛知・三重・岐阜・滋賀・大阪府の一部)へ開けており、ときには名古屋で幹線道路を走行中のモービル(移動)局へもお声がけができた。反面、デメリットを探すと、テレビ・ラジオへの通信妨害が起こりやすい、電波の波長が長いため、その分アンテナが大型となりがちなケースなどがある。


ますます6mバンドに惹かれ、より遠くまで飛ばせたいとの思いから、新たにアンテナ増設計画を立ててしまう。2倍以上の重さがかかるため、瓦屋根の本宅よりか中間程度高さとなるプレハブ建ての上に設置することになり、構想を練ったアンテナが姿を見せた。物事は思う通りにはならない、それは確かと思う。電波が以前よりも飛ばなくなり、見せかけ大型アンテナは、もはや宝の持ち腐れと化した電波塔。落ち込みは隠せなかったが、どうしてもあきらめがつかない長い日々を過ごす。実家の手伝いを終えて帰宅した両親が、こんな一言を私に伝えてくれた。「お手伝い場で、お客さんの無線をやっている人に声をかけたら、一度お前に会いたいって言っていたよ」。そうそう、今年も年賀のやりとりをした隣の都市に住むOMさんとの、出会いのときである。


6素子八木アンテナ2段水平スタック間隔1.5m(4分の1=0.25λ(ラムダ))幅の空中線(アンテナ)風景を、わが家へ訪ねてくれたOMさんに見てもらう。「鉄筋タワーを建てようか。アンテナの間隔は4.5m(3分の4=0.75λ(ラムダ))幅に広げよう」。なんだか夢を見るような話が聞こえてくる。国鉄民営化到来の時代であり、国鉄退職を決め、自営でのハムショップ開店を目指していた。電子部品の仕入れなどのため、月に何回か東京・秋葉原へ通う。このような人が、私の思いをくみ上げてもらえることが、とてもうれしかった。タワーは自作で登り梯子と作業用場がついていて、本格派そのもの。「6エレスタックになってから、より指向性(電波の飛び)がよくなりましたね」。数少ないローカル局さんから評価をいただく。願いが叶い、遠くの局との交信が楽しみになり、6mバンドの頂点まで達したみたいな感じがした。その裏でO仲間Mさんに、ほとんどのタワー並びに大型アンテナ設置作業を任せたまま、万が一命の保証を見ても見もせずに済ませてしまう。ただ、言われたことだけをその通りにお助けした。そんな自分とは違い、無線仲間の多くはともに支え合う精神を大切にしていると、常々そう思う。


現在のアンテナ光景タワー・アンテナはしっかりと固定された状態で、見た目ではビクッともしない。無線局免許状を切らしてから20年近くになった。今度、無線機の前に向かうのは多分、生まれ変わった人間としてかもしれない。いまの自分がやらなければならないのは、使用していない無線アンテナを下ろし、のちにタワーも解体を検討する。無線終活記録は、OMさんが元気なうちに報告をしたい。

2026/01/25

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