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マナくんちの部屋へようこそ!このページでは、文章書きが大好きなマナくんの日常や思いを綴っています。脳性まひという障害を持ちながらも、前向きな姿勢で毎日を過ごすマナくんの世界をご紹介します。 ここでは、マナくんの暮らしの原稿や心温まるコラム、思い出のスナップ写真などを通じて、障害を持ちながらも希望を持って生きる姿勢を感じていただけます。また、介護職員やヘルパーの助けを借りながら、電動車いすでの散歩やパソコンを使ったホームページ作成など、マナくんの日々の活動についても触れています。 食べ物好きのマナくんは、特にラーメンやうどん、握り寿司といった料理に目がありません。長野県喬木村を拠点に、不自由さのないマイナス面をプラスに変える生き方を実践しています。文章を書くことを通じて、自身の経験や思いを多くの人と共有することで、読者の皆様に勇気や希望を与えることができれば幸いです。(AIによる紹介文)


 子ども本を読まないのに なぜ書けるの? 子ども

 2025年10月

脳トレーニングは、認知症の予防にはよいだろう。日々の生活、自分のいまの思いを文章に書き残すことは大切だが、続けるのもそうは簡単ではない。パソコンの文字入力で日記を書く習慣が、リハビリ入院からはじまった。だが、もともとは小学低学年のとき、絵日記をつけている。利き手の右手で鉛筆を日記帳持ち、多くはひながらの文字で、その日にあった場面を絵と一緒に書き表した。文章だけとなったのは確か、小学高学年以降だったと思う。高校になると3年連続日記を買うようになり、50代後半まで続くことになる。よく続くものだと感心する一方で、せっかく書いても読み返すのは大抵自分以外には誰もいない。


日記書き好きの父だった。「農作業メモ」というタイトルのポケットノートを、いつも枕元に置いてあり、稲の生育データとして参考にする。のちには、息子の私と同様に長らく3年連続日記を手放さなかった。父の似の私か、父が私似なのか、どちらにし稲ても親子どんぶりだろう。書き残し、しまったままの3年連続日記は、何を語ろうというのか。処分される前、誰かの手に触れるとしたら、その人の心に響く言葉があるとは思うが・・・。書き物ではあっても、公開希望優先とは決まらない。父が愛用していた「農作業メモ」如く、本人のみが目を通す読み物もありそうだ。それも日記が持つ性質かもしれない。


大衆に読まれたい・・・。これが私の本意。毎月1回のペースで書きつづる原稿は、自分の暮らしの中で得た情報にすら過ぎない。小説家でもなければ作家でもあるまいし、素人に何ができるのだろう。一個人の体験をまとめ、自分史みたいなコンテンツをIT管理者発信する手段がある。まずは、第一ステップにウェブサイトの構築を思いつく。実は昨年秋、プロバイダー・サーバー廃止に伴い持っていたウェブサイトが、お払い箱となってしまう。最初に手がけた30歳後半に戻り脳を若返えさせよう。一度はあきらめがつくものの、再挑戦への気持ちが高まる。2025年2月下旬、ネットショッピングからホームページ作成ソフトを自分のパソコンに入れ込む。


ここからサイトづくりのスタートとなった。ホームページ作成ソフトは、マイクロソフト・ワードと同様の感覚でサイト(HTML)ファイル作成が可能。けれども裏の情報を伴う。HTML(Hyper Text Markup Language)言語が存在し、その内容はアルファベットの大文字・小文字、数字、各国の言語、日本語の場合はひらがな・漢字が加わる。一見、アルファベットの中でどことなく日本語文章が埋もれているようだ。表の表示ページでは、ごく自然なひらがな・漢字連続の文章として読める。なぜ、HTML言語を組み合わせる必要があるのか。自分のみの見解を述べるなら、ページ間のリンクだと思プログラマーう。パソコンやモバイルデバイス、テレビがインターネットに接続していれば、私のウェブサイトに誰でもアクセスができる。見方を変えると、一つのウェブページは世界中と結ばれた状態。私のサイトの現総数は48ページ。1つでもリンク外れであると、そのページはネット上でアクセスが困難な形となってしまう。とても不思議なことであって、同時にHTML言語のすばらしさをほんのちょっと分かった。しかしながら、この方面に詳しいのではない。人生に例えるとするなら、よちよちと歩きはじめた赤ちゃんと等しいだろう。そんな自分を支えるものは何だろうか。


今回、レンタルサーバーについても学ぶ。一般的にサーバーとは、サイトファイルを置く自分だけの部屋の意味。契約のプロバイダー会社に聞くと、弊社ではサーバーについてはやっていませんとの返事。一転して荒海へ放り出されたように、私はネット検索をはじめるが乏しい知識では弱気になりがち。偶然、ホームページ作成ソフトの広告からレンタルサーバーを見つけITネットワーク、自分だけのサイトアドレスを登録した。サーバーに入ってみたら、そこにもはじめての専門言語が並ぶ。「独自SSLとは。PHP、データベースって一体何のことだ」。覚えきれない脳みそでは、ザーッと見ながらまた戻る、その往復を繰り返す。どうしても分からないところはあと回しとして、自分の部屋(サーバー)に作成中のサイトファイルをアップロードしないとことははじまらない。正直必死だった。作成ソフトからファイル転送が容易にでき、自分のホームページが回覧可能となる。だけど、できることが増えるにつれて欲もあとに続く。


「思い切って別のレンタルサーバーに引っ越しをしようか」。新しい自分の部屋を探すと、比較的手ごろ価格のレンタルサーバーが見つかる。迷わず、サイト住所変更手続きを開始。すんなりとサイトアドレスをもらえたけプログラム言語れど、そこにまた別のネックが待ち構えていた。ファイル転送を行い、自分のページに目を通すとところどころ画像表示ができなくなっている。「リンク切れなのか。前のサーバーでは問題はなかったと思うが・・・」。自分の判断で画像ファイル形式を別物に変えて、再度転送してみた。ご名答といった感じだろうか。だが、明確なことは不明のまま。


つぎには何を試そうかと考えるタイムもないまま、ソーシャルネットワークサイトへ飛ぶアクセスアイコンをトップページに設置しようとする。ある程度の手順を踏むが、アイコンが表示されない、またはアクセスができない、ほかの情報まで影響を受けるなどの不都合が生じた。もうここまでが限界だ。AIチャットからの応援を受けても、トラブルの個所が分からない。ウェブサイトを持っている支援団体(EBの会)に、会員の立場からサイト作成に関するアドバイスをお願いした。「うちのウェブサイトは、広島県のサイト作成会社に依頼をしました」。のちに「知識共有の範囲であるなら、メールでのやりとりは可能です」とのこと。作成会社から願ってもないお話をもらい、何回かの情報交換をしてみた。的確な用件のみの回答で、それ以外に何も記述はない。内容では丁寧な標準語を使い分かりやすい反面、英語・外来語の略語につまずいてしまう。頭の中で一言が駆け巡る。「こんなことでどうする」。人から依頼された話ではない。あわてても何も得るものはないし、自分のペースでやっていく。こう思ったら急に気持ちが晴れ、メールの回答文を繰り返しEメール送信読めるようになった。自分で設置した複数の情報間で干渉していると分かり、データの調整を試みる。あっそうだったのか。一つ覚えられて、大変うれしかった。解決したとメール報告をすると、今後トラブルの見つけ方、対処方法を教えていただく。すぐさま出番が回り合わせ、私へのウェブ知識テストとなった。やはり、このときも同様の事前行動を起こす羽目となったが、問題情報を見つけ、それをチャットAIに質問を投げかける。「HTTPSページにHTTPスクリプトを読み込んでいる(どちらも同じでないといけない)」。ここに原因あり、解消するための代替え策の提案を受けた。結果は正解。一つの課題がクリアされ、つぎのステップへと駒が進む。感情は捨てての対等の立場から、作成会社の適切な指導が功を奏したものだと私は思う。ただただ感謝である。


ところで私は何をやろうとしているのか。いままで書き残した原稿を公開することで、一個人の暮らしに目を留めてもらえるようになりたいと思う。手にするまたは、書籍の紹本を読む男の子介欄から知った数冊では、日記をデータとして工夫凝らしの自分史も多い。金銭的な壁がなければ、本をつくろうとの思いを持つ高齢者はいるだろう。決して真似をしようとではなく、何かをやろうとする心構えを持つことで目標に向かう。そんな心持でいる。自分を奮い立たせるものは、先祖からの遺伝もありそうだ。上を向いていこう。


意見交換目標への第一ステップが、ウェブサイトづくりプラス、拡散への取り組みとなる。見知らぬ人からアクセスが増えていけば、評価に限らず、批判意見をもらえると、これから進む道の参考となりそうだ。こんな環境システムを築くため、日々模索し続けていきたい。
2025/10/21

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